gasonの徒然なるままーに

不惑になるのはいつのひか

映画 - ☆私はあなたのニグロではない

社会に生きる自分ではなく、自分が生きる社会

いつも人間の敵は人間である。
そして、自分が人間らしい生活を手に入れたら、
そこの座をなんとしても守り抜きたい。

守り抜くためには、何が敵なのか把握する必要がある。
もし、妥当な敵がいないのならば、敵をつくりだす必要さえある。

ここまでが、アメリカが「黒人」を必要とした理由と今の私が思うこと。

ボールドウィンは、自分の生きてきた社会と向き合い、
自分の中で問い詰め続けた。

黒人だから○○、こんな風景をあまりにも多く見てきた。
それは黒人差別ではなく、黒人という概念がなぜあるのか、
まったくアメリカ人が、黒人、白人問わず、考えようともせず、
ただ「黒人」という概念があることが当然のように振る舞うからだ。

「黒人」という概念により、不自由や死から逃れられないのなら、
戦い続けるしかない、それが心身いずれか、あるいは両方の
血が流れることになるとしても。

無関心、あるいは目を背けること、そこに自由の国アメリカはなく、
また、未来もない。

日本の論点すりかえが大好きなオジサンたちも、
未来がないことに目をそむけ続けているのでしょうね。