gasonの徒然なるままーに

不惑になるのはいつのひか

映画 - ビッグフィッシュ

氷山の一角が嘘だと思うなら、
氷山のすべてを見ようとしてみよう。
嘘と思っていたものが、実はいかに澄んでいて、
通して遠くまで見えるか分かるから。

つくり話。
自分を過剰に良く見せるためではなく、
ただ人を幸せにしたいがためにする、話。

息子としては大人になるほどに、父の話は
つくりものらしく、ホラに聞こえたのだろう。

だが実際に触れ合う人はどうだろう。
つくり話以上の思い出を父に、エドワード・ブルームに、
抱いているのではないか。

自分の経験してきたことを大きく話すことが出来ることは、
これから経験することを大きくすることの出来る人だ。

そんな彼が過ごして来た日々を
愛おしく思える、息子が気持ちになったときに、
感謝の水が降り注ぎ、自由に泳ぐ場所を父に与えた。

才もつもの

才は賽となって転がった際に最高の機会を得て、差異を生み彩を添えた歳を経て再びまみえん。

 

才能というのは得るか否かがまずサイコロの目のようであって、

また最も大切なのは人との機会である。

 

その中で違う道を苦しまながら進む人が、

(場合によっては生を終えた後という遅いタイミングに)

彩りを人生に与えられ、歳月を経て多くの新たな人々に再び

見初められるのである。

映画 - レオン 完全版

殺し屋、孤独少女、二人とも純粋で、目一杯背伸びをしている。

ミルクしか飲まず、文字を読む学も無い殺し屋は
本当は殺し屋になどなりたくなかった。

孤独少女は、唯一の助けだった弟が殺されてしまい、
復讐をせざるを得なくなった。

二人がたまたま出会い、ともにミルクを飲み、
文字を教え、仕事を教え、
極めて日常的に距離が近づいていく。

また殺し屋として少女がパートナーとして成長していく様子、
この描き方が秀逸で感情移入させられる。

ラストシーンでは少し「グラン・トリノ」を彷彿とさせる。
純粋な気持ちから自己犠牲をはらうということに、
見返りを求めずに人のために生きて死ぬという生き様に、
私は心動かされてしまう。

映画 - らせん

医学的な見地から呪いを紐解こう!という流れは好みではあるのだが、
貞子という「抽象的な怖さ」が「個人的な嗜好」のように感じてしまい、
いわゆる幻滅してしまう映画。

人類みな貞子、というのが最終的な目的であり、
それが人類の次なる進化の過程だというのは急にぶっ飛び過ぎ。

「なぁ、お前は生きてる。一体何をしたんだ!?教えてくれよ!」

の答えが出せない主人公にちょっと笑ってしまった。

恐怖映画の科学的なオチをつけようとして、
恐怖そのものが無かったことになってしまった、
続編ものとしては致命的な一作。

パシフィック・リム

ロボットと怪獣の戦いにあまり緊張感なく、
ただ殴ったり酸を吐かれたりといった様子をみていると
倒している。

人物がなぜロボットに乗ろうとするのかという描写も貧弱ではないのだが、
いまいち単なる回想を見ているだけで感情移入に至らない。

最後、学者の想定のもとにハリウッドらしい「最後の戦いだ」的なセリフで
いよいよ白けてくる。

そこには結束も、正義も、笑いもない大作と名打たれた
演出や彩りの凄い作品があった。

バトル・ロワイアルII/鎮魂歌(レクイエム)

なんだか永遠の中学二年生が、
辛い目にあったから、
みんな壊してやる、
ってのに対して、
めんどくせーから子どもに対応させよ、
という内容。

七原秋也が「立ち向かえ」といえばいうほどに、
「彼の国では子どもたちは過酷な環境下でも笑ってた」というほどに、
笑いとともになんだか無性に怒りすら湧いてきた。

作品中、誰がいうセリフにも共感できず、
ただ人が死んでいくだけ。

まぁ私も厨二病だけどね。
同族嫌悪なのかな。

バトル・ロワイアル

高校生同士がバシバシ殺し合うという映画。

スプラッターなシーンは少ないのだけど、
高校生という未成年の殺し合いが非常に物議を醸した、ような記憶がある。

大人をばかにするなよ、
という小馬鹿な理由がなんとも皮肉であるが、
さておき、生徒は様々な死に方をしていく。

ふっきれて殺しにかかるもの、
群れてなんとかならないかと呼びかけるもの、
知識・技術で脱出を目指すもの。

と、生徒が描かれる合間の
キタノがさすがである。

最後に見せるキタノの絵に、
キタノは子どもの、将来のうちに、
ほんの微かな希望を身近に感じていたのだろう。


もし私がこれに参加してたらどうするだろうな。
自分を守るために攻めるタイプだと思ってるけど、
実際の場面になるとまた違う行動とるんだろうな。