gasonの徒然なるままーに

不惑になるのはいつのひか

目黒 - 大衆ビストロ ジル

店員さんはみな若く、しかしサービスはとても丁寧。
ワインの好みも漠然と伝えると応えてくれるし、
3000-5000円程度で十分な品揃え。

 もやしとクレソンのナムル
 仔羊と大根の煮込み

組み合わせの面白いメニューが楽しく

 ストウブ飯(この日は鰆と菜の花の炊き込み)

キャンプに来たかのようにストウブで出てくる〆は
最高に美味しい。

客層も実に様々で、みな楽しそうに過ごしていた。
良いバル、ですな。

生きてこそ

人間の尊厳を問う、あるいは正義や倫理とはなにかを問う、
といった内容というよりは
過酷な中を覚悟を決めて生きていく人々の物語に感じた。

人の肉を食うと決める際のシーンも淡々とした描かれ方で、
また人が次々と死んでいく様も重く感じない描き方。

極限状態にあると、逆にこんな風なのかもしれないな。

松記鶏飯@神田 さながら屋台の狭さが店を出る頃には丁度よく。ラクサの旨みに目が覚める

海南鶏飯は東京ではよく見かける料理となったが、
ではシンガポール料理とは、と問われるとその他に思いつかない私。

このお店はそんな「シンガポール料理とは」に期待以上に応えてくれた。

まず酢漬けグリーンチリで味覚を叩き起こし
タイガービールで流し込む。

続いてハムユイを使った炒めモノで濃厚な味わいをいただくと
こりゃ酒が進むわとたまらずネップモイ(蒸留酒)をロックで。

「この酒強いですけど大丈夫ですか?」

とニヤニヤと聞かれるとまさに旅行に来たような感覚。
大丈夫ですともと頂くとこれが日本の米焼酎とは比較にならんくらいの
刺激。

刺激はそのまま食欲につながり、
海老チリ シンガポールスタイルと蒸しパン(ソースをぬぐって食べてうまし)
海南鶏飯ラクサと次々と食べてしまう。

海南鶏飯はいうまでもなくしっとりとした鶏肉に
ソース、風味豊かなライスが抜群で
ラクサはココナッツ香りながらピリッとする
まさに求めていた味で箸が止まらない。

最終的にはネップモイもネップカムも止まらず、
けんもほろろ、となりお会計。
外は寒いはずだが、心ぬくもり心地よく帰宅し睡眠に落ちた。

これは騒ぎたい人もじっくり料理を味わいたい人も
ぜひ一度。

マルエル・カーザ・デファド@四ツ谷 それはまるで、始めて帰る実家のような

それはまるでダシがブイヨンに替わって
日本酒がワインに替わって
そのまま日本料理を変身させたかのよう。

バカリャウ(干し鱈)のグラタンにコロッケ。
タコのマリネサラダ(日本の他にタコを食べる国は珍しい)、
魚介のスープ、
すべての味わいが派手で無く、ダシを感じるとても穏やかな味。

サービスはとても丁寧で、
アレルギーについて懇切丁寧に確認いただき
ワインの説明は1本1本のオリジナリティを描くよう。

赤ワインの「レベル」はとても土壌の豊かさを感じられる味わいで、
サービスのお兄さんは以前従事していた珈琲店のグァテマラを
彷彿とさせる良い意味での土臭さが魅力なのだと伝えてくれて共感。

〆には鴨ダシで炊いた炊き込みご飯が絶妙の塩梅で、
さらにその後ティラミス風のココナッツと生クリームの層をなした
デザートで満腹。

マディラワインの甘めのものを傾けながらほっと一息つくと、
訪れたことのない国の始めての家屋の中で
まどろんで寝てしまうかのような心地よさ。

これでコースは飲み放題でリーズナブルなものがあるのだから、
最高の帰宅である。

[蕎麦] ★銀座 sasuga 琳

昭和通りの車の喧騒を横目に階段をおり、お店に到着。

厚みのあるドアを開けるとカウンター越し、にこやかな店員さんと
奥に広々としたテーブル。

照明はぬくもりを感じさせ、壁面にはセンスよく器が置かれている。

一杯目はCOEDO ビールの伽羅をお願いし、
食事は\7,000の匠コースを。

お酒の前に胃に優しく豆乳と柿をいただき、
香りと苦味のバランスの良いビールを頂いていると
車海老の味噌漬け、タコの麹漬け、ホタテの南蛮(唐辛子の風味のする味噌漬け)が一皿に供される。

そこで赤ワイン(田崎真也さんおすすめドメーヌ)をお願い。
特にタコ麹漬けとの相性が抜群。

おあと、蕎麦がきはねっとりとした食感に蕎麦の風味がたまらない逸品で、
鴨肉、蕪、だし巻き卵、湯葉など頂き
いよいよ合盛り(うどん・蕎麦)を頂く。

細めのうどんはほどよい弾力にのどごしが良く、
蕎麦の香りは蕎麦がきに期待したとおりで
そこに控えめな出汁を絡ませると一層深い味わい。

デザートの魔宝プリンは蕎麦の実の食感と卵の濃厚さが
見事な対比で、パクパク食べてしまった。

ワイン、日本酒ともに品揃えよく、
サービスはにこやかで気持ち良い。

自宅近所にあれば、ちょっとつまんで飲んで帰ると
最高に癒やされるだろうな。

また伺います。

プリデスティネーション

螺旋の中に在るがために我は在り

もしかして、と想像しながら鑑賞しその通りの展開となっても、
それでも心が締め付けられる。

自分を愛し、自分を生み、自分を殺す。

終着点は分かっている。

しかし、自分を愛するのだ。
自分が自分を分かるだけに。

タイムパラドクスというのは、繊細だ。
ゆえに一つ一つの行動の意味が大きく、
その描き方がこの映画はとても素晴らしいと思った。

バチカン・テープ

女の子に憑いた悪魔がどのシーンで現れているのか。

「悪魔は巧妙に嘘をつき、人を騙す」

枢機卿の言葉は映画の終盤に出てくるが、
序盤に少女がカラスに傷つけられて以降
悪魔が話しているのか女の子が話しているのか、
分からないままに物語が進む。

そこに怖ろしさを掻き立てられて
緊張感を持ってみることができた。

最後の悪魔が家を吹き飛ばすシーンは
SFチックに感じてしまい、怖ろしさから興醒めしてしまったが、
最終シーンの「終わりの始まり」を思わせる描き方は私は好きです。