gasonの徒然なるままーに

不惑になるのはいつのひか

誰がためにウグイスは鳴く

山際にある家のすぐ側、小さな林がある。

子どもの頃から見慣れた林で、

亀を飼っている我が家では、冬になると冬眠する亀のための

布団にあたる枯れ葉をその林でひろう。

 

その林を最近は、伐採している。

 

寂しさが当然おおきく、しかし土砂崩れの危険を防いだり、

新たな住居開発のために仕方がないのかもしれない、

など考えてしのぐ。

 

そんな、より小さくなりつつある林から、今年もウグイスの鳴き声が聞こえる。

 

晴れた日はもちろん、小雨が降る日にも美しいホーホケキョが聞け、

桜の散った今、もっとも春を感じさせる瞬間である。

 

さて、ウグイスたちにとって、林が小さくなることはどのような意味があるのだろう。

「ホーホケキョ」

去年と、いや、わたしが小学校を卒業する頃の20年以上前から変わらないその声は、

別に春のためでもないし、わたし(たち)に春を告げるために鳴くわけでもないことを主張するかのように、

刻々と、撤去されてしまう鳩時計のことなどつゆ知らず。

 

カラス以上に、ウグイスの勝手でしょう、ということなのかもしれない。

来年もまたきてね。